肩書きや年齢関係なく、ひとりの人間として向き合う

「何歳ですか?」「お仕事何してるの?」

こんなふうに初対面の会話では、もはや儀式のように決まった質問が交わされていることが多いと感じます。

なぜ、私たちは相手を知ろうとするとき、まず年齢や仕事を聞くのか疑問に思うことがあります。

もしかすると私たちは、肩書きや立場といった外側の情報にとらわれて、知らず知らずのうちに相手への接し方を決めたり、決められたりしてしまっているのかも知れません。

その他に言葉遣いや態度、立ち振る舞いなどなど。

年上には気を遣って、年下には遠慮される。

会社でもプライベートでも、無意識に上下関係を前提とした人間関係が成り立っていて、時々それがコミュニケーションの壁になると感じる人、日本人は特に多いんじゃないかなと思います。

私は、そんな「当たり前」に違和感を覚え始めたのは大学生の頃でした。

そんな違和感をうまく言葉にできなかったあの頃、私はフィリピンへ語学留学に行きました。

今回はそのときの留学体験をお話ししたいと思います。

フィリピンでの留学生活を通してまず私の中で大きく変わった価値観のひとつが「人との距離感」でした。

現地でのコミュニケーションを通じて特に印象的だったのは、年齢や肩書きに囚われず、誰とでもフラットに接する文化、それは私の今までにない空間の心地よさでした。

私が通っていた語学学校には10代から50代の学生から社会人の幅広い年齢層の人たちが集まっていました。

しかしそこでは、誰が何歳か、社会的にどんな人でどんな仕事をしているか、など話題にならなかったんですよね。

先生たちもフレンドリーに名前で呼び合っていて、生徒もお互いに対等な立場で意見を交換していたと思います。

初めは私も戸惑いながらも、気づけば自然とその人自身に目を向けて接するようになっていました。というかその人自身をみるしかなかったし、相手も私自身を見て接してくれていると感じました。

その人の立場や年齢ではなく、目の前の相手の姿勢だったり、その人が放つ言葉に対して敬意を払うことが、関係性をシンプルで豊かなものにしてくれる!そんな感覚がそのとき自然とできた気がします。

その感覚は帰国後に始めたヨガ教室で、生かす時がありました。

平日昼間のクラスということもあって、参加者の多くは主婦の方やリタイア世代の方たちでした。私といえば、始めの頃ちょっと気後れしていました…

年上の人ばっかで、どんなふうに会話すればいいかな、会話していても失礼にあたらないかな。など、つい日本的な「気を遣う」モードになってしまってしまうんですよね。

でもある時ふと、フィリピンでのことを思い出しました。フィリピンではこんなときこそ、誰に対しても同じように接していたなと。

いくら相手の気持ちを考えても仕方ない。

相手をひとりの人間として見て、自分なりに話しすれば良いんだ、という感覚を思い出し、それからは年齢を気にせず「その人そのもの」として話すように意識しました。

名前で呼んで、お互いの近況や好きなことを聞いたり、先生の冗談に一緒に笑ったり。

敬語は使いつつもどこかにひとりの人として対等に関わる姿勢を持ち続けていたら、自然と打ち解けるようになりました。

あの時の留学の体験がいつの間にか自分の一部になっていることに感動して、とても嬉しかったんです。

人と関わるとき、肩書きや年齢などの「外側」ではなく「中身」を見て、ひとりの人間としてみる。

フィリピンで学んだその時のその感覚は、今も静かに私の人間関係を支え、私の強みですらあります。

あのときのフィリピンでの生活がなかったら、私はこの感覚には出会えなかったと思います。

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