私たちが留学エージェントをしている理由

日本で暮らしていると、身のまわりのものや、一日のリズムが「予想通り」であることが当たり前になります。
電車が遅れない、街がきれいで安全、予定通りに物事が進んでいく。
その環境の中で私たちは自然と「そうであることが普通だ」という感覚を身につけてきたのだろうと、私自身そう感じています。
いつの間にか、日々の行動や選択も「いかに効率よく、正確にこなすか」を基準に考えるようになっていました。
予定どおりに動くこと、段取り通りに進めること、ミスをしないこと。
それはもちろん良いことですが、いつからか「それが正解だ」と思い込むようになっていた自分に、あるときふと気づいた瞬間がありました。
正しさや効率を追いかけることに慣れすぎてしまうと、予想外の出来事や、小さな偶然に触れる余白すら見失ってしまう。
人生を後から振り返ると「あのときの経験が、自分の価値観や生き方を静かに変えた」という出来事の多くは、予期せぬところから生まれていると、私はそう思っています。
昔、セブに滞在していたとき、安宿のロビーでたまたま隣り合わせた日本人と、夜遅くまで身の上話をしたことがありました。
年齢も仕事も違い、共通の知り合いもいない。
ただ、これからどう生きたいのか、お互いの輪郭を少しずつたどるような時間でした。
そのときは単なる旅先の一幕でしかなかったはずなのに、肩書きも立場も手放して、ただ向き合うことで通じ合える関係があるのだという感覚は、後からじわじわと自分の「当たり前」を書き換えていきました。
ある夜には停電が起きて、寮全体が真っ暗になったこともありました。
ネットも照明も使えず最初は不便さに少し不安を抱いていました。
でもやがて生徒たちがロビーに集まり、ロウソクを囲んで話しはじめました。
誰かがギターを鳴らし、誰かが自国の話をして、誰かがただ静かに笑っている。そんな何気ない時間が私は心に残っています。
フィリピンでの生活は、日本と比べれば不便に感じることも多くあります。
でも、だからこそ自然と「やるしかない」という発想が芽生えたり、人と頼り合う場面が日常の中にあったりして、不完全な状況のなかで自分自身のあり方が試される感覚がありました。
振り返ってみると、あの停電の夜のように不便で何も整っていない時間こそが、私の中の価値観や人との距離の取り方を少しずつ変えてくれていたように思います。
英語を学ぶというだけなら、国内で英会話スクールやオンライン英会話でもできることです。
でも現地だからこその意味が確実にあります。
身につけた英語を通して、これまで出会うことのなかった価値観や、異なる背景をもつ人たちと自然に言葉を交わしたとき、その一瞬が「当たり前」を問い直したり「こんな生き方もあるのか」という発見となる。
例えば、日本で生きていると多くの人が自然と同じ方向を向いていると思います。
良い学校を出て、安定した仕事に就き、結婚して、家を買う。
そうした人生の流れが、あたかも「そうあるべきもの」のように映ることもあります。
でも、フィリピンで過ごしていると、不意にその輪郭が崩される瞬間があります。
大手企業を辞めて小さなバーを開いている、現地で出会った日本人がいました。
収入は日本で働いていた頃の半分以下。でも彼は「ここでしかできない出会いがある」という理由で、毎日楽しそうに暮らしていました。
現地の若いフィリピン人たちからも、多様な価値観を知ることができます。
彼らの多くは、日本のように完璧に予想できる未来を求めたりしないんですよね。
家族や友人と一緒に過ごせればそれで十分、という姿が当たり前のようにあるように感じます。
そういう人々と会話した時に「こんな生き方もあるのか」という言葉が単なる表現ではなく、自身の価値観の一部となっていったと私は思います。
予想通りで固めた人生だけが「人生」ではないということが身をもってわかりました。
そのときになってようやく「どんな生き方なら、自分は心から満たされるのか」という問いが、自然と立ち上がってきます。
これってネットで調べたり、人に聞いたりしても、きっと答えは見つからないんだと思います。何をどう感じるかは、人それぞれ違うものだから。
留学って単なる単語や文法だけの学びでも、単なる観光だけの旅でもない!
私が伝えたいことは、後から何度も「行ってよかった」「あの経験があったから、今の自分があるな」と自然に思える、人生の中で意味が育つ時間です。
単なる手配役で終わるのではなく、そうした一幕となるお手伝いができればうれしい、そう思っています。