「留学すれば話せるようになる」は私には通用しなかった

たまにSNSで見かけます。
「英語力ゼロから留学3ヶ月でペラペラに!」みたいな広告。

もしそれが本当なら、私は今ごろTEDでスピーチしていたはずです!
現実は半年経ってもタクシーで行きたい場所の行き先を伝えるだけで精一杯ですし、スーパーのレジで “Plastic or paper?” に “Yes!” と答えて苦笑いされる日々でした。

これは、私が初めて語学留学に行って、いろんな意味で大きな学びを得た半年間のリアルなお話です。
英語を学びに行ったつもりが、自分の思い込みや現実とのギャップがあり、何より「伝えることってどういうことか」を深く考えるきっかけにもなりました。
英語力という点だけを見れば、結果はだいぶ切ないものでした。

目次

「海外にいれば話せるようになる」は幻想です

「海外に住んでいれば、自然と英語が話せるようになる」
正直なところ私は本気でそう思っていましたし、それが留学を決めた大きな理由でもありました。

街の看板も、授業も、コンビニのレジも英語!
これだけ英語に囲まれていれば、耳も慣れて、知らないうちに話せるようになるだろう、と。

けど実際には、ずっと“英語のある空間”にいたはずなのに、自分の中には何も蓄積されていない。
半年経っても、簡単な受け答えで精一杯。
相手の言ってることはなんとなく分かるのに、自分の言いたいことはうまく出てこない。

そこでようやく、「これは“聞こえてくる英語”と“自分が使う英語”は別物なんだ」と気づきました。
周りが英語で話していても、自分が黙っていたら、語学力は1ミリも動かない。

英語環境にいれば勝手に話せるようになる、なんてことはなかったです。

あの頃の私は、「英語に触れてさえいればいい」と思っていたと思います。
でもそれは、プールの水に足だけ浸けて「泳げるようになりたい」と言ってるようなものですね。
本当に話せるようになるには、自分の意思で水の中に飛び込まなきゃいけなかったんだと、あとになって思いました。

私より英語ができなかった彼。でも彼のほうが“話せる人”だった

入学初日、クラスにもう一人英語初心者の仲間がいました。
文法も単語力も私より下だったけど、でも彼には「ガッツ」と「突撃力」がありました。

スーパーで「Where is chicken!」と叫びながら身振り手振りで突進していました。文法は無視。単語を並べて、勢いで乗り切るタイプです。しかも、間違えても爆笑してごまかすスキルも完備。

周囲の人も自然と笑顔になって、気づけば彼は友達だらけでした。
1ヶ月後には「え、普通に英語で雑談してない?」っていうレベルに達して、明るく帰国していきました。

その頃の私は、正しい文法にこだわりすぎて沈黙のプロになっていました。
「これで合ってるかな」と考えているうちに会話のタイミングを逃し続け、気づけば半年が経過。

彼のスタート地点は低かったかもしれませんが「話そうとする力」は私の何倍も高かった。
必要なのは、英語力じゃなくて“話しにいく勇気”でした。

受け身のままでは、何も始まらない

私は「受け身の天才」でした。

チャンスは“待つもの”だと思ってたし、英語力も“自然と染み込むもの”だと思ってました。

「授業に出ていれば伸びる」
「英語環境にいれば勝手に耳が慣れる」
「周りが外国人だから、なんとなく話せるようになる」

話しかけてこない相手に、こっちも何も言わない。グループ授業で分からないときに恥ずかしずぎて「笑ってごまかす」を多用したり、フィリピン人の先生に「How are you today?」と聞かれても「Good today..?」と答える(笑)

受身というどころか、話すことから逃げまくっていますね。

つまり「英語が使える環境」にいるだけで「英語を使っている自分」にはならなかった。
英語が話せるようになる人って、ちゃんと「恥をかきにいってる人」なんです。
私はそれを完全に避けていました。

留学生活は“能動力”が命

言い切りますが、受け身のまま過ごす留学は、死にます
「英語力も伸びない」「人との距離も縮まらない」「自己肯定感も減っていく」の三重苦。
しかも誰も悪くないから、どこにも怒りをぶつけられないです。

「語学留学」という名前に安心しきっていました。
でも実際は、「自分から能動的に生きようとしない限り、誰も何もくれない場」でした。

こっちが笑えば笑い返してくれるし、話しかければ答えてくれる。
でも、それを最初にやるのはいつも“自分”なんです。

行動しなきゃ、何も始まらない!って何事にも言える話ですが。
授業でも、寮でも、カフェでも、沈黙の時間は“自分の責任”で生まれるんです。

どのように話せるようになったか?

授業中に先生がぽつりと私にこう言いました。
「あなた何年ここにいるつもり?」

私はそのときすでに留学して4ヶ月。にもかかわらず授業では「Yes」「No」「Sorry」で乗り切り、放課後は日本人の友達と「今日のごはん何?」しか話していませんでした。

これはまずい!と思った瞬間でした。
頭のどこかで、そのうち話せるようになるでしょと思っていた自分にも気づきました。

そして、途中から私が変えたのは、ただ一つ、恥をかくことを恐れないようにしました。

間違っても気にしない。
“Can you lend me your… fork?” とか訳の分からないこと言っても、まずは話してみる。

そうすると、少しずつ相手も反応してくれるようになってきて、「あ、自分の言葉で人とつながれるんだ」という手ごたえが出てきました。
その小さなつながりが、私をどんどんとやる気にさせてくれました。

今でもペラペラじゃないけど、得たものは大きかった

半年経っても英語は上手に話せるようになったとは言えません。
でも、自分の言葉で”ちゃんと失敗”しながら、誰かとちゃんと向き合った経験は確実に残っています。

“わからなくても大丈夫”という感覚だったり、英語がわからなくても、人は案外なんとかなるし、なんとかしてくれるんだなと。
むしろ、わからないときにどう振る舞うかの方が、その人らしさが出る。

“伝えたい”という気持ちは、語学力より先に必要なんだというのも強く感じました。
言葉が足りないとき、ジェスチャー、顔、声のトーン、なんでも使うようになる。
つまり、英語を通じて、自分の人間力みたいなものと向き合わざるを得なくなるんです。

だから今の私はペラペラではないけど「話そうとする自分」に進化したと思っています。

これから留学する人へ

英語力ゼロでも留学できます。もちろん誰でも。

でも「行けば話せるようになる」は全然違います。
話せるようになる人は、間違いなく”話そうとし続けた人”です。

だから、これから行く人にはこう伝えたいです。

  • 恥ずかしがらずに、とにかく口に出す
  • 完璧じゃなくても、自分の言葉で話してみる
  • 授業以外の時間こそが、英語力の伸びるチャンス
  • ちょっとだけ変人になる

「ペラペラ」じゃなくても「通じる楽しさ」は、意外と早く体験できます。
そこからが英語学習の始まりだと思います。

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